タオルが日本に最初に入って来たのは明治5年。
イギリスからの輸入品の中にあったタオルは最初、現在のような体や顔を拭くタオルとしての役割ではなくマフラーのように首に巻いて使用されていました。
その後現在のように浴用として使用されるようになりましたが、日本でのタオル生産が盛んに行われるようになった場所として泉州と今治があります。
一時期価格も安い外国産タオルが出回るようになったことで苦戦を強いられたこともありましたが、
現在では本来の綿が持つやわらかさや吸水性を引出す製法で作られた国産タオルが見直されています。
泉州と今治はともにそれぞれの特徴を活かしたタオル作りを磨き上げ現在に至っています。
【今治タオルの特徴と歴史】
今治タオルの特徴は何と言ってもその吸収性。
しかし今治で作られたからといってそれらがすべて今治タオルのブランドを掲げられるわけではありません。
今治タオルと認められるためには、タオルが水中に沈み始めるまでの時間が5秒以内でないといけないという基準をクリアする必要があるのです。
これらの基準を満たすタオルを生み出す生産を支えるもののひとつが水です。
今治タオルの生産地には染めや晒しに適した軟水の水資源が豊富にあり、タオル作りを支えています。
そして洗濯を重ねても硬くならないように撚りの強い糸を使わずに作られ、吸水性ややわらかさを実現しています。
そんな今治タオルは明治27年に阿部平助氏が綿ネル機械の製造に成功し、そこから今治タオルの歴史が始まっています。
その後、明治43年には2列同時に製織出来る機械の開発で大衆向けのタオルの生産が可能になり、
さらに大正時代に入るとシャガード織りのタオルの開発などが進みました。
第二次世界大戦中には空襲を受けたことで生産に打撃を受けましたが、戦後のタオル業界の好況でその生産を盛り返し、
現在ではコンピューターを導入することによって大量生産も可能になっています。
【泉州タオルの特徴と歴史】
今治タオルと共に日本を代表するタオルの生産地である泉州のタオル作りは今治よりも少し早く、
明治18年に大阪の舶来雑貨商をしていた新井末吉氏がドイツからの輸入品の中にあったタオルを見つけたことから始まりました。
先見の明を持って日本での需要を見込み、泉佐野市の白木綿業者の里井氏に製織の研究を進めたのです。
そして明治20年に現在も受け継がれる製織の方法に成功したことから泉州タオルの歴史が始まりました。
紡績・織物をはじめ、各種の準備工程や仕上工程や繊維機械用品等に関連する補助産業が発達するとともに、地域に繊維に関する技能を持つ技術者が集まり、専門的な労働市場が形成され、
いくつもの産組合が集まって技術指導や品質管理・新製品開発の機関として機能している繊維産業に関連して「マーシャル流の集積」を形成しました。
マーシャルの言う産業集積
■ 地域に,ある特定の産業を中心として,それに関する補助産業が発達する。
■ 地域に専門的な技術をもった労働市場が形成される。
■ 地域に各種の品質検査・技術開発・技能訓練などのための業界団体や公的機関が集まる。
つまり、納品に人や物が移動する費用や時間を節約するために、補助産業の局地的集中が発生しました。
これにより集積している企業間競争の刺激から品質向上や生産コスト削減が日々研鑽される一方で、新技術開発について協業や共同が組織的になされるようになりました。
さらに日常的に生産技術やノウハウが経験的に学習されて地域社会に共有されることで、知識経験が豊富な熟練労働者や専門的技術者が集まり特化した地域労働市場が形成されたのです。
地域社会全ての技術の結晶が現代にも引き継がれています。
それは泉州タオルの特徴は吸水性の良さとやわらかさ、そして清潔さにあります。
泉州タオルは生産過程で糸切れを防ぎ織りやすくするためにつけられる糊やロウを取る工程である晒しを、織った後行う「後晒タオル」なのです。
晒し工程が後で行われることで糊やロウはもちろん工程途中の汚れも落とされるため清潔です。
そして糊やロウが取り除かれたタオルは水をはじくことなく吸水性に優れています。
また綿がもともと持つ特性が引き出され、ふんわりとした優しい肌触りが実現しているのです。
さらに織り上がった後に晒しや水洗いを行っているので縮むことが少ないという点も泉州タオルの特徴。
縮みが少ないことで、衣服やインテリアとしての生地利用にも適しています。
現在ではメーカーや外部のデザイナーなどとも連携しながら、様々な商品の開発などに取り組んでいます。